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  • 3月12日(木) ロータリー財団・米山記念奨学委員会卓話

    講師紹介:藤川 俊一 委員長

     

    講師紹介

     

    皆さん、こんにちは。本日は韓国より日本に留学されております、文 盛載(ムン・ソンジュ)さんに卓話をお願いしております。先ほどお話しさせて頂いた際、卓話の中でご自分の自己紹介もされるとお聞きしましたので、よろしくお願いします。併せて地区米山記念奨学委員会の渡邊委員長(札幌西北RC)にも本日お越し頂いております。それでは、よろしくお願いします。

     

    講師:米山奨学生 文 盛載(ムン・ソンジュ) 様

    テーマ:『私が好きな日本語「分かりました」』

     

    卓話1

     

    ただいまご紹介頂きました北海道大学人文科学部中国文化論の博士課程2年の文 盛載と申します。本日はよろしくお願いします。本日のテーマは、私の好きな日本語「分かりました」についてお話ししたいと思います。このテーマになったきっかけを紹介したいと思いますが、私は現在結婚していて、日本人の妻と娘が1人おります。よくテレビを見ていますと、妻から色々な質問を受けるのです。私は韓国人ですから、日本のテレビを見てどう思うのかやアイドルが出てくると誰が可愛いかとか、答えに困る質問を受けるのですが、ある日、日本に来ている外国人に好きな日本語について聞く番組がありまして、「有り難うございます」とか、「どうぞ」とか、「感謝」とか、そういった温かい言葉がベスト5に入っていました。その時に妻からも当然質問を受けて、私はこの「分かりました」が一番立派な言葉だと思う。と言いました。妻は納得したのか、その時に理由は聞かれませんでした。今日はその理由をお話ししたいと思います。

     

    プレゼン表紙 プレゼン1自己紹介1 プレゼン1自己紹介2

     

    プレゼン1自己紹介3 プレゼン1自己紹介4 プレゼン1自己紹介5

     

    ※本日は、テレビ画面にパワーポイントの画像を映してご説明されていました。下記の概略説明文と合わせてクリックしてご覧下さい。

     

    私は日本に来て10年ほど経っていますが、本日話す内容がとても主観的で、個人的な経験に基づくものでありますので、学問的な根拠のあるお話しではないという事をあらかじめご理解頂きたいと思います。

     

    私は韓国の釜山(プサン)で男4人兄弟の4番目に生まれました。私の父は女の子が欲しかったみたいで、3人目まで男の子だったので、次こそは間違いなく女の子だろうと思っていたようです。私が生まれた事を知った父はショックで病院に来なかったそうです。(笑)

     

    次に生まれ故郷の釜山についてお話しします。釜山は韓国第2の都市で人口は350万人程です。以前より景気が悪くなっている事もあり、人口が減っている状況です。写真で対馬から見た釜山の夜景を紹介させて頂いておりますが、対馬と釜山は非常に近いですし、関係も密接なものがあります。次に釜山といえば海雲台(ヘウンデ)というイメージがあると言われる位有名な所です。高層ビルが立ち並ぶ近未来的な都市が特徴で、最近更に建設が進んでいます。その反面、ジャガルチ市場という所がありますが、こちらは釜山の伝統的な姿を保っている場所です。海産物を沢山販売していて、日本からいらっしゃる方もよく利用されています。釜山という所は野球に対する愛情がとても熱い都市でもあります。日本でいうと大阪の様なものでしょうか。(笑)釜山にはジャイアンツという球団がありまして、日本の読売ジャイアンツと、千葉ロッテを合わせたようなチームカラーなのですが、このチームが韓国では一番人気のある球団です。現在、ソフトバンクホークスにいるイ・デホ選手もこのチーム出身です。釜山と言えばチョウ・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」が有名ですが、釜山の中では「釜山カモメ」という歌が一番有名なのですね。この曲が応援歌でもあります。その「釜山カモメ」を歌っているのが、「ムン・ソンジュ」さんといって、私の名前と同じなのです。私の父は野球が大好きですので、私の名前の由来は・・・皆さん、分かりますね。(笑)

     

    プレゼン1自己紹介6 プレゼン2釜山と日本の関係 プレゼン2釜山と日本の関係2

     

    私が中学生まで育った、ガムチョン村は山が一杯あります。民家も山の上にあるのですね。朝鮮戦争の時に全国から沢山の人が釜山に逃げてきて、逃げ場所が無かった為に山の上に家を建てる事になったという訳です。私の母と祖母も北朝鮮から釜山に逃げてきた為に釜山タワーの下あたりに住む事になり、私は軍隊に行く前までそこに住んでいました。釜山は対馬や福岡と近い事もあって、日本語の看板も多く設けられています。

     

    次に、草梁(チョリャン)倭館(ワカン)図についてご紹介します。これは1678年に描かれたものです。日本は江戸時代で鎖国制度をとっていましたが、1643年辺りには出島で薩摩藩などがオランダなど一部の国と貿易を進めていたのですね。その時に韓国の草梁には10万坪の日本軍が住む土地があったのです。出島の25倍に当たるこの土地は当時の記録によると40万人程の方が移住され、暮らされていました。私は日本と関わりが深いこの土地で暮らし、日本の方と触れ合う機会が多い環境で育ってきました。そういう縁があったので、現在こうやって日本でお話ししているのかなと感じています。

     

    プレゼン3兵役について1 プレゼン3兵役について2 プレゼン3兵役について3

     

    プレゼン4日本に来たきっかけ1 プレゼン5四書大全 プレゼン5西学と朝鮮儒学

     

    ※その後、文さんは2年2ヶ月の兵役(歩兵部隊)を経て、格闘家で日本でも有名なチェ・ホンマンが横綱だったシルム(韓国相撲)の選手に選ばれたお話しをされました。兵役後、父親が船の仕事をされていた事から、その仕事に興味を持ち、ヨットを修理する仕事をしていた際に、神戸から釜山へ使わなくなったヨットを運び、修理して売るという、通訳を兼ねた仕事の募集の連絡が日本からあり、日本語を勉強していた文さんはそれに応募し、日本に来る事になりました。1年後には日本についてもっと勉強したいと思うようになり、以前から雪景色などに憧れていた北海道に行きたいと考え、留学試験を受けて北海道大学に入り、東アジアの思想について専攻し勉強する事になったそうです。

     

    プレゼン5論語を読む プレゼン6韓国語講師の経験 プレゼン6分かりましたについて

     

    ※論語は最初にさぞかし立派な事が書いてあるんだろうなと思っていたそうですが、実際に読んでみると一人の人間として学ぶ所が沢山あるとお話しされた後、北海道大学で4年間、その後西学と朝鮮儒学を学ぶ為、東京大学で勉強され、その後韓国語教師をされたお話をされました。教師をされたきっかけは、祖母がハングル文字を読めなかった事だそうです。卓話の最後に文さんは「分かりました」が好きな言葉だという理由として、「分」という漢字で理解しているという事を表しているのが面白い」と思ったからなのだそうです。「「分」という文字は八つの刀と書き、物事を分別する時に使われる字で、日本では「分ける」という言葉が適当な使い方だと思います。察するに、千差万別ある人の考え方を項目ごとに分け、全てしっかりと受け入れた。その過程で分けたのだからそういう漢字を使うようになったのだと理解しています。」とおっしゃっていました。

     

    謝辞

     

    ※卓話終了後、藤本会長から謝辞と記念品が贈られました。文 盛載 様、貴重なお話をして頂き、有り難うございました。