• 3月9日(木) 会員卓話

    講師:環境保全委員会 千歳分収造林組合長 丹治 秀一 パスト会長

     

    DSCN2072

     

    「分収造林を実行するに至るまで」

     

    私は苫小牧市に住んでおります。

    千歳ロータリークラブには、昭和47年9月にスポンサー 佐々木 治雄 氏と加藤 忠男 氏の紹介で入会させていただきました。

    当時、「大人の世界に入り、厳しい習練の場があるものだな」と思いながらも、此の町、千歳市内で仕事をさせていただいている限り、此の町にご恩をお返ししなければならないと考えていた矢先の入会12年目 、地球温暖化対策の一環として1985年に国際森林年が叫ばれましたので、千歳市民文化センター新設を祝って、山奥から大変苦労して運び出し、我が家の裏庭に植えていた樹齢350年位のイチイの木を、私が17代会長を受けた年度でもありましたから、早朝例会で83名の出席のもと、千歳市民文化センター前に植栽しました。

     

    石碑に、

    「記念樹 いちい

    千歳市民文化センターの建設と、1985年国際森林年を記念し、国際ロータリー2510地区 千歳ロータリークラブ会員一同から、干歳市の文化の発展と青少年健全育成に奉仕の理想を掲げ、千歳市に贈る。

    昭和60年5月30日 国際ロータリー2510地区 千歳ロータリークラブ」

    と刻まれております。

     

    この記念のイチイの木の植栽行事を終え、1~2年後に仕事を通して恵庭営林署に出入りしておりました所、「分収育林を 、1口50万円で買って下さる方を紹介して欲しい」と要請され、千歳RCの会員の方々にお伝えしたところ、 札幌営林管理局内から10口の物件を出された中から、法人1社、RC会員と私含め5人の、計6口の申し出がありましたので、その旨を斎藤恵庭営林署長に伝えましたところ、「3年も前から販売広告していても売れなかった物件を、6件も買って下さって」と、大変喜ばれました。

     

    その後、署長との雑談の中で、千歳RCの会員の中には木材に関心をお持ちの方がおられると思ったのか、「丹治さん、千歳RCで分収造林を行なってみたらどうですか」と言われ、佐藤 秀雄 PGがクラブ会長の時に恵庭営林署まで出向いてもらい、営林署長にご挨拶をしていただきまして、早速当クラブの理事会に諮ってもらい承認していただきましたが、私の前段の実績がなければ理事会の承認も受けられず、今の分収造林の姿はなかったかもしれません。

     

    続いて、千歳市工リア内の国有林から分収植林地を進めていただいて、面積 2.8111ヘクタールをお借りし、1992年5月に赤エゾ松7,600本を、晴天に恵まれ、会員はじめお手伝いをしていただいた口ーターアクト会員、その他大勢の方々が汗まみれになって植樹していただいた40cm 程の苗木が、23年目にして約13m~13.5mの高さ迄に成長して 、素晴らしい成長振りであります。植える時には、私の女房も植付けを手伝ってくれましたが、一昨年1月15日に脳卒中で左半身麻痩の状態で、長澤邦夫先生に大変お世話いただいて病院に入院して居りましたが、昨年5月に自宅に帰ってきましてから、我が家で介護を続けて居ります事から、大西会長年度にお手伝いできず恐縮に存じます。

     

    国際ロータリー第2510地区千歳RCの環境保全活動の一つとして、地球温暖化対策に少しでもお役に立つ事を願って発足いたしました分収造林が、植裁をして23年となります。

    おかげで組合員一同の手入れの甲斐があって、大変立派に育てる事が出来ました。

    過日、札幌森林管理局長の指示もあり、間伐補助金で間伐が出来ると知らされたのですが、面積が少ない為、私の社有林の一部を加えて、平間和弘環境保全委員長と話し合いをし、ご苦労をお掛けしながら、分収林の間伐を5年程前に千歳森林組合の伐採業者に請負いただき間伐を終える事が出来ました。

     

    今後の 間伐は40年、55年、70年、そして83年目には皆伐となっておりますが 、この地区は伐採期限が来ましても100年、120年と水源かん養保安林として指定を受けている所なので、全伐を行わずに、全面積で1,700本程残された立木の中から、赤エゾ松ですので、ギターやヴァイオリン等の表板として使用される銘木も幾本か出材できる事と思いますし、この事が我がクラブのロマンであります。

    さらに森林(モリ)を愛情込めて大切に造る事が地球温暖化対策にお役に立つことでしょう。台風に遭わずに成長して、千歳市の社会活動にお役に立ちます事を祈って、50周年記念事業の1コマとしたいと思います。

     

    結びに、私が分収造林組合長の職について、植林事業に愛情込めてご協力を賜っている平間和弘委員長に50周年記念日前には代わっていただく事を、理事会に諮り検討していただければ幸いであります。

     

    「千歳空港のエアカーゴ発着枠拡大に尽力」

     

    話は変わりますが、私がロータリーに入り、千歳の街におりまして、何点か気付いたことをお話しさせて下さい。

    お気に障ることがありましたら寛容の心でご容赦願います。

     

    エアカーゴは、北海道新長期総合計画(新千歳空港の24時間運用の6枠合意まで)の関係で、昭和63年の終わりから始まり、平成6年2月28日に千歳市で委員会の会合を開き、6年経っても反対をされました。その時に担当された千歳市の部長さんから、「丹治さん、千歳は今回しっかりと通すから、苫小牧はどうしても通してくださいよ」と言われ、私もうち(苫小牧)の町内には5人ほど反対する方がおり「何とか協力してあげなければならない」と心配しておりました。

    私は、その日に苫小牧の騒音直下の5町内会を集め調整し、「丹治会長に一任する」ところまで話を持っていきました。

    そして、関係5町内会、横路知事および苫小牧市の関係者と懇談し、勇払、植苗、沼ノ端全員が賛同した旨を報告し、横道知事に感謝していただきました。

    基本合意は、苫小牧は平成6年3月1日です。

    その後、深夜・早朝時間帯の発着枠の拡大を20から30枠にと要請があり、平成27年2月に道からの発着枠拡大の提案について基本合意をしております。

    私は千歳に大変お世話になりましたが、エアカーゴの件で少しはご恩に報いたのかなと思っております。

    千歳の皆さんには、「千歳空港がある」という環境の中で、色々と恵まれていることを胸に刻んでほしいものと思います。

    ご静聴ありがとうございました。