• 1月31日(木) 卓話

    『ロータリーの親睦と奉仕』   職業奉仕委員会 委員長 福田 武男

      

     ロータリーは「奉仕団体」、というよりは正確には「奉仕をする人の団体」なのですが、ロータリーでは「奉仕」ということに劣らず「親睦」ということを強調します。親睦を極めて重視するというロータリーの思想は、ポール・ハリスがロータリーを始めたその出発点が「親睦」から始まったことによるだけでなく、1907年から3年もの間続けられた「親睦派」と「奉仕派」の、クラブ崩壊寸前までいった激しい対立があったことが大きな理由かも知れません。

     ロータリーの奉仕は決して殉教者のように悲壮高邁な、身を捨てて人を為すというものではありません。平凡な市井の人々が誰でもその気になれば出来る、いわば「小さな親切」程度のものです。その根底にあるのは「思いやり」ということと、「相手の身になって考える」という素朴な精神です。「思いやり」ということと、「相手の身になる」とかいうことを学び、また修練をする場こそが正に親睦です。小堀憲助PGは、「ロータリーは親睦の上に乗った奉仕である」と独創的な表現をしています。この親睦とは、ただ面白おかしく飲み食いをすれば事足りるというものではなく「ロータリーの親睦」で忘れてはならないことは、①お互いによく知り合うこと ②そしてお互いに尊敬し合えるようになること ③そしてお互いに「相手の身になって考える」こと という修練を積むことです。

     ロータリーはあえて「親睦と奉仕」の解釈を、世間一般の人たちが考える解釈と異なる次元においています。ロータリーが定義する「親睦と奉仕」は、如何なる辞書を引いても正しい解釈が活字化されていないロータリー独自の概念です。まず、例会の場で発想の交換によって自己改善を図り、奉仕の心を育み、一業種 一人で選ばれた会員が例会に集まって、互いに師となり徒となって奉仕の心を学んでいくことを通じて、ロータリーが説く「親睦」が生まれてきます。これが「入りて学び」=「学ぶために入ろう」です。そして例会場から出て、各々の地域社会に戻り、その育まれた奉仕の心をもって、自己の職業を出来るだけ倫理的に営み、地域の社会にも個人として社会奉仕を実践する、これが「出でて奉仕せよ」になります。“ロータリーの理念を学ぶ場”=「親睦の場」、“実践する場”=「奉仕する場」とし、「奉仕の実践活動をする以前に、奉仕の心を学ぶ」すなわちロータリーでは奉仕の歯車を回す前に、先ず親睦の歯車を回さなければならないと2510地区塚原PGは表現しています。

     シェルドンは、ロータリーの基本にサーヴィスをおきました。Serviceは邦訳の「奉仕」より遥かに概念が広く、他人の為になる行為全体を指します。シェルドンは、「Service」という単語は、あまりにも多くの意味を持つ言葉なので、一言で言い表すことは不可能と前置きし、「Service」を受けた立場から得られる「満足感」と述べています。日本語では、「忠恕(ちゅうじょ)」(真心を尽くして人の為を思いやること、相手の立場に立ち、相手の心情を慮って考え、行動すること)が当てはまると思いますが、あまり日常では使われていない言葉です。そして、シェルドンは、継続的に事業を発展させようと思うなら、自分の儲けを優先するのではなくて、自分の職業を通じて社会に奉仕する、貢献するのだと、そういう意図をもって事業を営むことと説きます。この奉仕理念が、1911年にロータリーの「職業奉仕理念」となりました。ロータリーは職業奉仕という言葉を使うに当たって、Service(奉仕)という文字を、その一番広い意味で使っており、単に実業あるいは専門職業界における取引によってなされた業務あるいは売られた商品を指すのみでなく、相手の必要と境遇に対して正当な考慮を払うとともに常に他人に対し思いやりの心をもって当たることも指しています。

     他の奉仕クラブは「団体による奉仕」を目指しているのに対し、ロータリーは「個人を変えることによって世の中を良くしよう」としています。そのため、「ロータリーは人を作る」と言われています。その研鑚の場所が例会場なので、日本のロータリーの創設者である米山梅吉翁は「ロータリーの例会は人生の道場である」と表現しています。そして、「ロータリークラブは奉仕クラブではない」、ロータリアンが奉仕するのであって、クラブは原則として奉仕しない、クラブは奉仕するロータリアンを育てるところです。

     ローターアクト・クラブの「奉仕を通じての親睦!」(Fellowship through Service!)という標語で使われている「親睦」と、ロータリーで言う「親睦」は同じ意味ではありません。これは、アクターが皆力を合わせて一つのことを成し遂げる。そのとき「戦友」のような連帯感が生まれる・・・。それがローターアクトの「親睦」です。つまり「奉仕」は「親睦」を生み出すためにあると言えます。「Fellowship」は「同志」という意味でつかわれています。(2510地区塚原PG)

     ポール・ハリスは、「ロータリーは親睦と奉仕の調和の中に宿る」と言っています。これはクラブ運営の基本を示したもので、この場合の「奉仕」は対社会的奉仕のことではなく、親睦を通じて「奉仕の心」を形成することを意味します。単なる感性的な親睦でなく、親睦がより高い奉仕の心を形成し、その心がさらに親睦を深めるという、「奉仕と親睦」とが同一次元となるクラブ環境でなければロータリーではないということを意味します。(RI2800我孫子貞夫PG)

     近年のロータリーについてビチャイ・ラタクル元RI会長は2005年の国際協議会で「ロータリーは何億人の弱者に救いの手を差し伸べてきた。これは偉大なことです。しかし、それは外面的なことです。奉仕の実践の源となる「奉仕の心の涵養」という内面的なこと、つまりロータリーの金看板である『職業奉仕』を我々は忘れてしまった。なんと恥ずかしいことか。」と語りました。

     ロータリーは貧困・飢餓・疾病に苦しむ何十億人の人を救い、豊かにしてきました。ロータリーが人道的経済的プログラムで嵐を切り抜け、どれほど貢献してきたか、それは誇るに足ることです。しかし、それは立派なことであっても所詮外面的な行いを見ているだけに過ぎません。ポリオとの戦いには勝つでしょう。あらゆる病気・教育・貧困にもなお手を差し伸べなければなりません。この世に善を成すためには、自らの力の限界を知らなければなりません。しかし、力の源となる「奉仕の哲学」がことごとく裏切られたのが今の世代です。私が申し上げたいのはロータリーの内面問題です。ロータリーに課せられた最も重大な挑戦課題でありながら、ここのところずっと無視されてきた問題です。いく年もいく年も話題にされず討議もされなかった挑戦課題、それはロータリーの金看板=職業奉仕です。今もこれからも職業倫理の提唱と自愛の心をロータリアン以外の人々に分かち与えて行かねばならないのです。残念ながら私たちの多くが、この最も重要なロータリー哲学の真髄を忘れてしまいました。なんと恥ずかしいことではありませんか。

                          作:福田武男PC